港
今まで私は人が失敗すると、責め続けてきました。
人の失敗を許す事ができず、失敗した人を切り捨てる。
長男が自動車教習所に行きたい。と主人に言ってきました。主人はお金の振り返りがあるので、いつから行くのか?と何回も聞いていたようです。
主人に、長男は教習所に行くと思ってる?教習所に行ったら最後まで行き続けると思ってる?と聞いてみたら、どちらもイエスと答えました。
私もきっと同じ考え方をし、行かなかったら、行くと言ったのにとイライラし、もし挫折したならば、お金がもったいないと怒ってたと思います。
今回は、出資者が、おじいさんと言う事で客観的にみる事ができて(笑)
行かないかもしれないし、挫折するかもしれない。行けるのが当たり前だと思うのは違うよ。と主人に言う事ができました。
あなここでは、失敗しようが責められることもなく。
何度でもリベンジできる場所。
私も何回も失敗し、過去に行ってきた子供への虐待を責められた事はありません。
私の過去を含めて受け入れてもらっています。
私自身が、あなここで、してもらったように、失敗しても何度でも戻ってこれるような家庭を作っていきたいと思います。
動いたからOKではなく、自分が子供につけた十字架の責任を持つ。
その十字架の重みを感じる。
十字架の重みを感じると、行かない事を責めたり、ガッカリしたり、ましてや怒りだすということはできないのではないかと思います。